東京南青山小原流会館SHIZENNECTION

アクション第4弾は、
2020年11月22日(日)9:00~ 11月23日(月)19:00開催 
(アーティストトーク:11月22日(日)13:00〜14:30)
東京 南青山にある、いけばな小原流会館にて。
同会館を「創造の場」として、日本伝統文化ならではの自然観から着想を得たアート展を企画開催します。
展示作品は販売も致します。

■主催:「創造の場」実行委員会
    アーティスト代表:佐野圭亮 
■企画:SHIZENNECTION
■協力:小原流会館

いけばなの自然の捉え方として、
生け手の考えや意向よりも素材そのものの声を聞き、その対話の中で花材のあるがままの姿に美を見出し、生命の形を与えていくというアプローチがある。
そしてその美は、草木や花々の満開の美しさだけでなく時を経て枯れ朽ちていく、うつろう様も生命の美として捉える。
これら、〝あるがまま〟と〝うつろい〟は、日本文化ならではの自然観と言える。

本展では、東京藝大卒のアーティスト以下7名が、上記の日本文化の自然観における二大テーマに沿った作品を発信します。

佐野圭亮  (アーティスト代表)
秋山大樹 
木下はるか
高橋侑子
張清越 
山田高央 
若月美南

奈良東大寺SHIZENNECTION

自身の作品でもって日々創造し続けるアーティストは、日本の文化をどう捉えているのか。
お一人ずつ言葉にしていただいた内容をシェアしていきます。

シリーズ【3】は、
「 focus 」@華厳宗大本山 東大寺 大仏殿
2019年4月5日〜10日作品奉納された山口 桂志郎先生
https://www.facebook.com/yamaguchikeishiro
のお言葉です。

キーワードは、◾️更新◾️

伝統文化は、本来作り手と受け手がその思想や制度、技術を主体的に受け継ぐものです。
伝統文化保護という名の元、その多くは形骸化しています。しかしそれはある意味資本主義の原理に流されず作家の技術や芸術性の追求ができる良い環境であるともいえます。
この、形骸化してしまっている部分の活性化と芸術性を上手く合致させながら、伝統文化を更新する必要があると思います。

(自身作品制作に日本らしさを意識するか)

自分の作品に、日本では縄文時代から使われている漆という素材を扱っています。
その普遍的な素材を温度や湿度によって日々変化する木という素材に使用することで、そこに内包される素材と伝統の記憶を閉じ込める事ができるのではないかと思っています。

江ノ島江島神社SHIZENNECTION

自身の作品でもって日々創造し続けるアーティストは、日本の文化をどう捉えているのか。
お一人ずつ言葉にしていただいた内容をシェアしていきます。

シリーズ【2】は、
「 水と波動 」@日本三大弁財天 江島神社
2019年11月14日大嘗祭並びに八臂弁財天御尊像 国指定重要文化財指定記念に際し作品奉納された
佐野圭亮 先生
https://www.facebook.com/profile.php?id=100005822461544 のお言葉です。

キーワードは、◾️素材◾️

自身の求める形ではなく素材の求める形を削り出す。西欧のような構築的なものではなく、あらかじめあるものの中から探り当てていくようなものに近い気がする。
その造形はどこまでも合理的でなおかつ必然的である。私はこのようなしなやかさにこそ日本らしさの真髄があるのではないかと思っています。

日本の伝統文化の特徴は「素材」というものに色濃く見えてくると思います。日本は素材の豊かな国です。漆や木、土などの物質的な天然素材に加え、人々を飽きさせぬ四季折々の変化。そういった一級の「素材」を熟練された「技」により調理して一つの絶品料理を作ろう、というのがまさに日本の伝統文化というものだと思うのです。
日本の伝統文化の美的感覚にはいかに「素材」を引き立てるかという工夫が随所に見られます。例えば和装。打掛をはじめとする和装の縫製は極めて直線的かつ平面的です。そして何よりそれらの形、様式は厳密なルールに基づいて定められているのです。ある意味「形」という点において他との差異はでません。だからこそ、素材や柄それぞれの取り合わせによる響き合いがより一層際立つのです。これは立体的なフォルムを優先する西欧の美観には見られない、日本の風土が人々から引き出した感性であり、このように素材が主役を担っていると言えるのです。
しかし、一方で現代における「伝統」の捉えられ方には少なからず違和感を感じざるを得ない部分もあります。それは産業革命以降、大量生産大量消費の時代とともに手工業が衰退し、いつの間にか伝統が「守られる」立場になってしまってからです。そこに「伝統」とは昔から形を変えることなく継承されてきた大切なものである、という誤った認識があるのです。
私が専門的に扱っている素材は漆ですが、漆がはじめて日本で塗料として塗られたのはおよそ9000年前であると出土品への化学的調査で明らかにされています。9000年前と今とでは何もかもが違うのはどなたでも納得していただけるでしょう。それを9000年の歴史があると言うのは間違っていませんが、9000年の伝統があると言うのはかなりの疑問です。伝統とはどの時代においてもその時代その時代に寄り添った形で少なからず変化を遂げてきたはずです。ただ、近代化と言う変化があまりにも劇的だったためにそれまでの文脈が変化の許容を超えてしまい、一切合切変化することをやめてしまった、と言うのが守られる立場に回ってしまった伝統のやるせない悲劇的側面です。 
守られるだけの伝統に血は通いません。人々に必要とされていたからこそ、その文脈は9000年前までにも遡るのです。伝統は守るものではなく新しく紡いでゆくもの。その権利は私たちが今を生きているからこそ行使できるのです。私たち一人一人が伝統の最前線に立っていることを自覚し、その創造者であるという当事者意識を忘れてはいけません。さあ、伝統をアップデートしよう。

(自身作品制作に日本らしさを意識するか)
私が制作に取り組む上で重要と考えていることはやはり「素材」と「技」です。ただただ良い素材だけを寄せ集めただけではおいしい料理は作れません。その素材の性能を遺憾なく発揮させなければなりません。
木材を加工してお椀を作る時、ただただ分厚く作れば当然頑丈なお椀になります。しかし、それは木という素材の性能の限界に迫ったものではありません。丈夫といえどその強度のほとんどは日の目を見ることはないでしょう。薄すぎず厚過ぎず、熟練の技が理想的な厚みに木椀を挽いた時、それは素材である「木」そのものが望んだ形といっても良いでしょう。そのようにして削り出された最適解は自ずから美を醸し出すことになるのです。
自身の求める形ではなく素材の求める形を削り出す。だからこそ、技の習得はより一層の困難を極めるのです。ゆっくりと自分の感覚と素材の感覚をシンクロさせてゆく。繰り返しの行為がやがて大きな積み重ねとなり、確かな手応えとなる。
工芸という日本的感性が凝縮されたものづくりにおいて、その美とは西欧のような構築的なものではなく、あらかじめあるものの中から探り当てていくようなものに近い気がする。その造形はどこまでも合理的でなおかつ必然的である。私はこのようなしなやかさにこそ日本らしさの真髄があるのではないかと思っています。

宮島大聖院SHIZENNECTION

自身の作品でもって日々創造し続けるアーティストは、日本の文化をどう捉えているのか。
お一人ずつ言葉にしていただいた内容をシェアしていきます。

シリーズ【1】は、
2019年11月10日〜12月8日まで開催された
「 光と花展 」@宮島 大聖院で出品いただいた
木村良苑 先生のお言葉です。

キーワードは、◾️生命愛◾️
日本の文化は、生の裏側(あるいは行く末)に在る死を見据えた上で、生命への慈しみや喜びを表現するものではないかと思う。

いけばなをはじめとする日本らしい文化を考える時、死生観を外すことはできない。
すべての生き物は生を受けた刹那から死に向かって走り続けるのだが、その瞬間瞬間により、光と影・生と死などの二面性が切り取られる。

いけばなに於いては、生きている花の生を断ち切り、その花を「生かす」ように表現し提示することで、より多くの共感を得ることができる。
あるいは桜の開花を愛でると同時に花吹雪を潔しとして愛でる。
それは日本人の根底にある侘び寂びの感性によるものかも知れない。

(自身の作品制作に日本らしさを意識するか?)
ヨウジ立体線描は、ツマヨウジの軸と先端の連なりにより表現される。
制作テーマは「生命」の表現であり、多くは生き物(あるいはその部分)をモチーフとしている。

ツマヨウジは自然物である木から作り出される人工素材だが、その質感は「生きていた」木を感じずにはいられない。
ある種の植物素材である。
木としての生命を絶たれたツマヨウジに動き・躍動感を与えることで、新たな生命感を表現する。

制作にあたってはツマヨウジに線・面・角度を与えながら造形していくのだが、
出来上がった作品には(作者は意識していないが)いけばなで体得した植物の造形の面白さが反映されている。
そういう意味では、私の作品にはいけばなの要素が強く、その造形は日本らしさを持っていると言えるかも知れない。