【最終章 ── 縁の景】

【最終章 ── 縁の景】

前回の「土の景」で、私たちはすべてを受け止める大地──「受容」の器と、泥のなかで太く深く伸ばされる「根(アイデンティティ)」について触れました。

土の中での静寂と沈黙の時間を経て、物語はいよいよ、命が解き放たれる最高峰の結びへと向かいます。

日本では日常の中で、当たり前のように「ご縁をいただいて」「ご縁がなくて」という言葉が使われます。けれど、私たちが口にする「縁」とは、一体何なのでしょうか。

かつて大学の恩師と「ご縁とは何か」をめぐり激論を交わした際、恩師はこう言いました。 「ご縁とは抽象的なものであり、すべては結果論なのだ」と。

当時はその言葉の意味を深く模索していましたが、ある仏教の住職から授かった「仏教とは、目に見えない抽象的なことを具体化していく営みなのだ」という教えと重なったとき、ひとつの答えに辿り着きました。



「縁」とは、棚から落ちてくるような偶然ではありません。 泥の底で悩み、もがき、自らの「根っこ」を必死に伸ばしてきた歳月の果てに、振り返って初めて「ああ、この出会いのためにあの苦難があったのだ」と立ち現れる、必然の結実──それが結果論としての「縁」の正体です。

天からの浄化の雨を一身に受け、自らが根を張る「土」の記憶を吸い上げて咲く紫陽花(あじさい)のように。 紫陽花は、自らのエゴで色を主張するのではなく、身を置く土壌(環境)をそのまま受け入れ、その奥ゆかしい色を空間に滲ませます。

そして、その姿は決して一つの巨大な花ではありません。 小さな命が静かに身を寄せ合い、互いに結びつくことで、ひとつの美しい「円(縁)」を描き出しているのです。 人は、一人で咲くことはできません。 そして「縁」が結ばれるのは、外側の他者とだけではないはずです。

SHIZENNECTIONが手掛けているのは、目に見えない抽象的な想いや美学を、繋げて、デバイスや空間という具体的な形(しつらえ)として世に届けることです。

私たちが創り出す空間に触れたとき、誰もが表層のエゴや日常の気負いをそっと手放し、自らの奥底に眠る「最も深く、高い自分(高次の自己)」と静かに繋がり直していく。

主語を手放した透明な空間で、自分自身の内なる聖地と結ばれ、人と人が魂の奥底で共鳴し合える「紫陽花のような美しい円」をしつらえること。

いまこの場所に巡り会えた奇跡の中に、すべては必然の「結果」として美しく結実していきます。

これにて、水・雲・土、そして縁へと至る四景の物語は、ひとつの美しい円環(和)を描いて完結します。

けれど、ここからが本当の始まりです。 深く結ばれたこの場所から、また新しい風がふいてきます。

掲載写真:

代官山ヒルサイドテラスにて出合われた、染谷香理氏(島根県出身)の作品『あじさい』より。記憶の中で、そっと救ってくれている静かな花。 出雲(島根)の土の気配を宿したその作品と、あの歳月も、いまこの場所に辿り着くための「必然の縁」でした。

【第三章 ── 土の景】

【第三章 ── 土の景】
前回の「雲の景」で、私たちは天空を巡る自由なライフスタンスと、すべてを許し大浄化をもたらす天の雨について触れました。

天を巡り、街を清めた熱気が静かに元の座へと還っていくように。
天から降り注いだ恵みの雨は、やがて母なる大地 ──「土」へと還り、静かに受け止められます。

土とは、絶対的な「受容」の器です。
地上の喧騒や不条理、降り注ぐ雨のすべてを拒むことなく飲み込み、深い沈黙のなかで時間をかけて濾過(ろか)し、清らかな伏流水へと変えていく地層。

私たちがSHIZENNECTIONを通して提案しているのは、単なるプロダクトや空間の提供ではありません。
表現者たちの魂や、日々を生きる人々の感情が、安心して深く根を張ることができる「ふかふかで温かい土壌」そのものです。

飾られる植物やアートを引き立て、自らは透明な「背景」に徹すること。
作為や主張を手放し、ただそこにあって命を受け止める構造であること。

古来、神々が集う出雲の地が「根の国(すべての生命の根源)」を大切にしてきたように。
太古の神殿が巨大な大木を土深くへと穿ち、その「根っこ」の力によって天空へとそびえ立っていたように。

私たちもまた、自らの揺るぎない「根(ルーツ)」と出合う場所を創り続けています。

参道に凛と横たわる大木の列のように、土の下で太く、深く根を張ったとき、私たちは地上のどんな嵐にも揺らぐことのない絶対的な軸を手に入れます。

どれほど激しい火災に見舞われ、焦げ跡を残すことがあろうとも。
この土に深く根ざした本質だけは、決して滅びることはありません。
私たちはこの根っこから、何度でも美しく再建し、新しい命を芽吹かせればいい。

泥の底からただ一輪、過酷な宿命をくぐり抜けて天へと咲き誇る、究極の結び ──
次回はいよいよ、【最終章・縁(えん)の景】をお届けします。

※掲載写真:出雲大社・本殿裏手に佇む素鵞社(そがのやしろ)にて。
華やかな表舞台の後ろ側で、静かに八雲山の岩肌と大地を抱く「根の国」の原点。

#出雲大社 #素鵞社

【第二章 ── 雲の景】

【第二章 ── 雲の景】
前回の「水の景」で、私たちは都会の聖域の奥底に湧き出る伏流水、その静寂の清めについて触れました。地表を潤した水は、やがて天へと昇り、形を変えて「雲」となります。
機上から見下ろした、果てしない雲海。世界を包むノイズや地上の喧騒が一切届かない、インディゴブルーの静寂のなかで、湧き立ち、流れゆく雲のうねり。遥か下の地上をかすかに垣間見せながら、天の青へと繋がっていくこの圧倒的な「俯瞰の視点」に立つとき、心は完全な凪へと至ります。
雲には、決まった形がありません。自らの力で進もうと気負うことなく、ただ大いなる「風」に身を委ね、軽やかに天空を巡ります。
約240年の間続いてきた、物質や所有、目に見える境界に縛られた「土の時代」が静かに終わりを告げ、世界は今、目に見えない精神性や調和を尊ぶ「風の時代」の真っ只中にあります。
そこに、エゴは、ありません。脈々と流れる文化の伏流水に掬(すく)われ、本物の表現者たちの熱量によって、ただ静かに「押し上げられていく」というあり方。大空を渡る風に一切の気負いを委ね、ただ美しい調和のなかに漂うことです。
古来、日本において「雲」とは、神聖な領域の境界線でもありました。八百万の神々が集う地、「出雲」。その名は文字通り、「雲が湧き出る場所」を意味します。幾重にも重なり立ち上る八雲は、大切なものを守るための聖なる垣根であり、強固な結界でもありました。
この雲の上の視点から見下ろせば、かつて地上で「苦手」だと感じていた境界線や、行く手を阻んでいた過去の因縁さえも、すべては美しいプロセスの一部へと整流されていきます。
かつてご紹介した宮島・弥山 大聖院の「消えずの火」が、お堂の火災をもくぐり抜けて不滅の光を放ち続けたように。そして、激しい火災をくぐり抜け、焦げ跡を残しながらも美しく再建された歴史ある山車のように。傷を抱えたまま、より軽やかな本質をまとって、風とともに再び立ち上がる。
天を巡る雲が、圧倒的な金色の光に染まるとき。それは、大いなる調和へと導く大浄化の兆し。雲からこぼれ落ちる恵みの雨は、魂の奥底から溢れる感謝。その清らかな雫が、また次の大地を潤していきます。
血統や土地の記憶に守られながら、形を持たない雲のように、しなやかに、自由に、巡っていく。
次回は、この雲がやがて恵みの雨となり、万物を受け止める母なる大地へと還る ──【第三章・土の景】をお届けします。
※掲載画像は、神話の里・出雲へと向かう機上より撮影
出雲は、何度訪れても、新しい、そして懐かしい。人生を調整してくださるルーツの一つです。
[Chapter II: Scenery of Cloud]
In our previous feature, “Scenery of Water,” we explored the underground streams welling up from the depths of an urban sanctuary, and the quiet purifications they bring. The water that moistens the earth eventually ascends to the heavens, shifting its form to become “clouds.”
Looking down from an airplane, an endless sea of clouds unfolds.In the indigo-blue silence, completely untouched by the noise of the world and the clamor of the earth, the clouds billow and drift.Glimpsing the distant earth below as it connects to the deep blue of the sky from this overwhelming “bird’s-eye perspective,” the mind arrives at a state of absolute stillness—a perfect calm.
Clouds have no fixed form.Without any strain or eagerness to push forward by their own strength, they simply surrender to the great “wind,” drifting gracefully across the sky.
The “Era of Earth”—which for approximately 240 years bound us to materiality, ownership, and rigid boundaries—has quietly drawn to a close. We are now floating in the “Era of Wind,”
#出雲 #風の時代

【第一章 ── 水の景:形なきものの強さと、巡り】

【第一章 ── 水の景:形なきものの強さと、巡り】

ペニンシュラ東京のロビーに息づく、いけばなの精神。その美学の底流にあるものを見つめ直すとき、やはりあの言葉へと行き着きます。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

野地美樹子さんの美術展で受け取ったその響きは、SHIZENNECTIONの底を流れる思想そのものでもありました。

SHIZENNECTIONがブランドとして地上に芽吹く前、長く、静かな沈黙の季節がありました。

今振り返るなら、あの空白は、表現の器を深く満たし、形を変えながら流れつづけるための「水の洗練」を、文化と信仰の地層から静かに汲み上げる時間だったのです。

📄 水面(みなも)を見せる ── 小原流の薫陶

水の大切さ、そしてその本質的な美しさを教えてくれたのは、いけばな・小原流の教えでした。

広々とした浅い水盤に植物をいける「盛花(もりばな)」。それは、ただ花を愛でるだけでなく、「水面を広く見せる」ことによって、自然の広がりや景観を表現する仕立てです。

余白としての水、命を支える背景としての水。

植物の美しさを引き立てるために、あえて器の中の「水」そのものを美の主役として差し出す。その極限まで削ぎ落とされた引き算の美学に触れたとき、凝り固まっていた表現の輪郭はしなやかに融かされていきました。自らを主張せず、他者を活かすためにただそこに在る。その水の佇まいこそが、SHIZENNECTIONが目指すクリエイションの原風景となったのです。

📄 聖なる「清め」の思想 ── 神道における水

さらに、この国のはじまりから脈々と受け継がれてきた神道の精神において、水は最も神聖な存在です。

古来より、水は万物の「穢(けが)れ」を洗い流し、硬くなった心をリセットして、瑞々しい新たな生気(いのち)を蘇らせる「禊(みそぎ)」の主役でした。大地を潤し、神々を迎え入れる依り代(よりしろ)としての水。

押しつけがましくない確固たる土壌のなかで、静かに、しかし絶大なる浄化の力を持って万物を包み込む。神道が大切にしてきたその水の清々しさは、「〜せねばならない」という規律の檻から思考を解放し、あるがままの命の豊かさへとクリエイションを導く、尊い道標となったのです。

📄 伏流水としての沈黙、そして合流

地上の目見える場所だけが、水のすべてではありません。

山に降った雨が土深くへと染み込み、何年、何十年という歳月をかけて岩肌を通り抜け、磨かれていく「伏流水(ふくりゅうすい)」の時間。

ブランドが歩んできた「空白の歳月」とは、まさにその伏流水の季節でした。

伝統の精神や、聖なる祈りの気配という名の地層をくぐり抜け、一滴一滴、純度を高めていくための時間。

小原流の美しい引き算の思想と、神道が教えてくれる清らかな命の巡り。その二つの伏流水が交差したからこそ、溢れ出た水は一本の大河となり、SHIZENNECTIONという確固たる軸へとしなやかに合流することができたのです。

完璧な形を目指して静止するのではなく、揺らぎながら、変わりながら、それでも清らかな本質を保ち続けて流れていくこと。

形を変えながらも、決して失われることのない清流のような物語に、これからも耳を傾けていただけたら幸いです。

次は、水が天へと昇り、自由な形を描く「雲の景(けしき)」へと、ゆっくりと歩みを進めていきましょう。

#SHIZENNECTION #根源の景 #水の景 #水の巡り #小原流

【公募・再掲 ── 冬の静寂に身を置く、表現の実験室】

【公募・再掲 ── 冬の静寂に身を置く、表現の実験室】

冬の凍てつく空気、音を失ったかのような白い森。

日常のあらゆるノイズから切り離された軽井沢の地で、自らの表現の深層と、ただ静かに、真っ直ぐに向き合う。そんな贅沢な「空白」を過ごす表現者を、再び募集いたします。

第6回目を迎える「軽井沢アーティスト・イン・レジデンス(KAIR)2027」。

今回は、特に「冬の静寂が生み出す創造」に焦点を当て、世界中から新たな感性を持つアーティストを招聘します。

🔵 プログラム概要

KAIRは、アーティストが軽井沢の豊かな自然、歴史、文化に浸りながら、滞在制作を行うプログラムです。都会の喧喧騒を離れ、自然の一部として自らを置いたとき、表現の器にはどのような「引き算の美」が満ちるのか。その実験の場を提供します。

 滞在期間(想定)

2027年1月23日(金)〜 2月13日(土)[約3週間の滞在]

🔵 募集要項

 対象:ジャンル不問(現代美術、写真、絵画、文芸、伝統工芸など)

 募集人数:若干名(※公募枠)

 提供内容:

 滞在場所・制作スペース:アートホテルドッグレッグ軽井沢( @dogleg2007 )

 ホテルカーの貸出

 地域や他アーティストとの交流機会

 条件:滞在期間中に制作を行い、最終日に成果発表(プレゼンテーション)を行っていただける方。

🔵 KAIRがもたらすもの

形を持たない冬の空気や、雪の上に残された微かな気配。

昨年度の滞在アーティストたちは、その凍てついた静寂そのものを息をのむような美しさで作品へと刻み込みました。

何もない、だからこそすべてがある冬の軽井沢で、あなたの新しい物語が芽吹くことを願っています。

🔵 応募方法

ご応募、および詳細に関するお問い合わせは、当アカウントのDM(ダイレクトメッセージ)にて受け付けております。

 Instagram: @shizennection

メッセージをいただいた方へ、追って詳細なエントリーフォームをご案内いたします。

締め切り:7月31日(金)

皆様の情熱と、静かなる野心に満ちたご応募を、心よりお待ちしております。

特別な表現の場を共創し、温かい支援を続けてくださるアートホテルドッグレッグ軽井沢のオーナー神谷様に、深く感謝申し上げます。

#SHIZENNECTION #軽井沢アーティストインレジデンス #アーティストインレジデンス #アートホテルドッグレッグ軽井沢

【表現の景 ── 杉本博司 絶滅写真】

東京国立近代美術館で開幕した大規模個展、「杉本博司 絶滅写真」。

現代美術作家・杉本博司氏が「生き残った最後の銀塩写真家として、写真のお葬式を執り行う」と語るその不穏で美しい空間の前に立つとき、SHIZENNECTIONの思想は激しく揺さぶられ、そして静かに共鳴します。

デジタルへの移行によって「真実を写す証拠能力」を失い、絶滅の危機に瀕している銀塩写真。

しかし、会場を満たす圧倒的なプリントの前に佇むとき、そこに宿る光と時間は、絶滅どころか、むしろ永遠の生命を得て拡張しているようにさえ思えるのです。

静寂の暗室と、海を見下ろす測候所

ブランドとしての思想の地層を形成していた歳月のなかで、私たちは彼のクリエイションの深層に触れる二つの特別な景色と出合っていました。

ひとつは、2015年頃に訪れたニューヨークのスタジオ。

世界最先端のノイズが渦巻くマンハッタンにあって、その内部には、大判カメラが捉える一瞬の光と暗室の果てしない沈黙の時間だけが満ちていました。効率とスピードが支配する現代において、あえて気の遠くなるような「引き算の手仕事」によって物質に命を吹き込んでいく、クリエイションの聖域。

そしてもうひとつは、2018年に足を踏み入れた、小田原の地に佇む「江之浦測候所」。

どこまでも広がる相模湾の海景と、天空を巡る太陽の光を正確に捉える建築群。光学硝子の舞台が太陽の光を反射し、海と空の境界線を融かしていくあの圧倒的な光景は、自然への絶対的な畏怖と、人間がそこに調和していくための引き算の美学そのものでした。

境界線の先にある、本質

形あるものは移ろい、ある種の技術や時代はいつか「絶滅」を迎えるのかもしれません。

しかし、かつて彼が世界中の海でシャッターを切り、空と海の境界線だけを極限まで削ぎ落として描き出した名作《海景》がそうであるように、また、江之浦の地で何百年も遺る石と光が対話しているように、物質が剥ぎ取られたその先に遺る「本質的な美」は、決して色褪せることはありません。

器が失われても、その奥にある光は不滅であること。

絶滅を見つめるその鋭い視線の先にあるのは、逆説的なまでの「永遠への祈り」ではないでしょうか。

世界基準の圧倒的な引き算の美学に、改めて深い敬意を込めて。

次回からは、この美しい水面と光の思想の底流にある、私たちの根源 ──【第一章・水の景】の連載を始めていきます。

※掲載画像は、江之浦測候所公式ウェブサイトより引用

“Hiroshi Sugimoto: The Extinction of Photography,” a major solo exhibition now open at The National Museum of Modern Art, Tokyo.

Standing before this hauntingly beautiful, ominous space—where contemporary artist Hiroshi Sugimoto states he is “holding a funeral for photography as one of the last surviving gelatin silver photographers”—the philosophy of SHIZENNECTION is deeply shaken, yet quietly resonates.

With the transition to digital, analog photography has lost its capacity to bear witness to the truth, bringing it to the brink of extinction. Yet, lingering in front of the overwhelming prints that fill the venue, the light and time captured within seem far from extinct; instead, they appear to have gained eternal life, expanding infinitely.

#SHIZENNECTION #シゼネクション #杉本博司 #絶滅写真 #東京国立近代美術館

弥山

SHIZENNECTIONがブランドとしての産声を上げ、初動の未熟な歩みを始めたとき、深く、温かい慈愛の懐で迎えてくださった、宮島・大聖院。@daishoin_temple

このたび、弥山の霊域にある「不消霊火堂(きえずのれいかどう)」を襲った火災の報に接し、深い衝撃とともに、激しい心の痛みを覚えております。大聖院の皆様、関係者の皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。

同時に、緊迫した状況のなか、どなたにも怪我がなかったという報せに、まずは深く安堵いたしました。

形は移ろい、本質は遺る

火という大自然のうねりは、時に人間のコントロールを超え、大切な形を容赦なく奪い去ることがあります。自然を前にしたときの畏怖、そして無常の理(ことわり)を、私たちは突きつけられます。

けれど、報道を通じて届けられた一つの事実に、私たちは目に見えない精神の強さを確信せずにはいられませんでした。

建物が炎に包まれるなか、弘法大師空海の時代から1200年以上守り継がれてきた「消えずの火」は、別の場所へと分灯され、傷一つなく無事に護り抜かれたという事実です。

器(社殿)は失われても、その奥にある本質(火・祈り)は決して滅びない。

これこそが、形なきものが持つ本当の強さであり、私たちがクリエイションを通じて追い求めようとしている「引き算の先の美学」そのものの体現であると感じています。

何度でも立ち上がる、再生の地

歴史を紐解けば、霊火堂は2005年にも一度火災で焼失し、翌年に美しく再建された過去を持っています。

ここは、ただ古いだけの場所ではありません。形を失うたびに、人々の祈りの力によって、より清らかに、より力強く蘇ってきた「再生の聖地」なのです。今回の試練もまた、未来へのさらなる一歩へと昇華されていくことを、私たちは信じて疑いません。

自然の猛威に涙を添えながらも、決して消えることのない不滅の光と、これからの美しい「再生」の物語に、私たちは遠く離れた地から、静かで絶えざる祈りを送り続けます。

大聖院の皆様の安全と、一日も早い平穏、そして新たなる結実を、心よりお祈り申し上げます。

#SHIZENNECTION #シゼネクション #大聖院 #宮島 #弥山

【表現の景 ── 空間をいける、臥龍の息遣い】

【表現の景 ── 空間をいける、臥龍の息遣い】

ザ・ペニンシュラ東京のロビーに足を踏み入れるとき、いつもそこには、言葉にできない素晴らしい「気」が満ちていました。

空間を優しく包み込みながら、同時に凛とした一本の軸を通すその空気の正体。それこそが、ロビーの中心にずっと鎮座する、現代いけばな兼現代美術作家・濱恵泉氏の作品『臥龍の門 ートッキーここにいるー』でした。

境界線を融かす、反転の美学

割竹が持つしなやかな素材感を活かし、あえて「竹の内側」を表として使うという独特の手法。

物質がその固定観念(檻)を手放し、内なる美しさを反転させて解き放たれたとき、そこには宇宙を揺るがすほどのダイナミックな生命力が宿ります。それは、私たちが大切にしている「こうあらねばならないという強固な檻を手放す」という思想そのものでもあります。

単なる視覚的な彫刻ではありません。

伝統的な「いけばな」の精神、すなわち空間の余白に命の気を走らせる思想が、現代美術というアプローチによってロビー全体へと「いけられている」のです。

宇宙を護る、静かなる鎮座

干支の中で唯一、神話上の生き物である「龍」。

そこに横たわる臥龍は、宇宙の平和と幸運の守護として、また魔除けとして、あらゆるノイズからこの空間を護り続けています。

素材があるがままの息遣いでうねり、神話の熱量を帯びながら、現代の洗練された空間と最も美しいバランスで調和している姿。

私たちが「SHIZENNECTION」を通じて見つめ、引き算の先に追い求めようとしている原風景の答えの一つが、まさにこの場所に、何年も前から静かに佇んでいました。

最高峰の表現が放つ「気」と、純粋に共鳴する時間。

伝統の精神を現代の感性でひっくり返すその圧倒的な手仕事に、心からの敬意を込めて。

#SHIZENNECTION #ペニンシュラ東京 #濱恵泉 #臥龍の門 トッキー

【表現の景 ── 荒ぶる野生と、静謐なる規律】

素戔嗚命

【表現の景 ── 荒ぶる野生と、静謐なる規律】

先日、美術家・ヤマダカズキさんの個展「SUSANOO ── スサノオー」に足を運びました。

国を代表する美の学び舎で壁画や古代モザイクの技法を修め、現在は同校にて後進を導くヤマダさん。作品が放つ圧倒的なエネルギーとは対照的に、とても柔らかく、優しいお人柄が印象的な表現者です。

今回の展覧会の核である「素戔嗚命(スサノオノミコト)」、そして神話の聖地「出雲」の気配がどのように物質へと定着されているのか。その深い共鳴の空間を共有させていただきます。

☆荒ぶる神「スサノオ」が象徴するもの

素戔嗚命とは、日本の神話において最もダイナミックで、人間味に溢れた神様です。

天界を揺るがすほどの「荒ぶる野生」を持ち、時に破壊的な力を見せる一方で、出雲の地に降り立ってからは、人々を苦しめる八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治する壮大な「英雄」へと姿を変えます。そして地上の王となり、豊かな国のはじまりを拓いていきました。

破壊と再生、荒々しさと深い慈愛。

自然の圧倒的な驚異であり、同時に命を育む偉大な土壌そのものであるスサノオは、まさに「生のうねり」そのものの象徴なのです。

☆石の粒に宿る、出雲のうねり

ヤマダさんが扱う古代モザイクの技法は、途方もない歳月をかけて大地が育んだ石の粒を、一つずつ対話するように並べていく緻密な世界です。

そこには、極限まで計算された「規律」があります。

しかし、彼の作品の前に立ったとき、私たちが感じるのは息苦しい制限ではありません。石という静かな物質の隙間から、まるでスサノオが放つ猛烈な生命力や、出雲の山々を渡る風のうねりが、そのまま脈打って溢れ出てくるかのような感覚を覚えるのです。

完璧に整えられた構造の中に、決して飼い慣らされることのない野生を息づかせる。

それは、自然の営みと人間の文化が最も美しいバランスで結びついた、ひとつの理想的な構造美の姿でした。

☆瑞々しい眼差しと、これからの巡り

対話のなかで、ヤマダさんが「実はまだ、出雲の地には足を運んだことがないんです。今度、ゆっくりと視察してみようと思っています」と、穏やかに微笑みながら語ってくださったのが非常に印象的でした。

神話の壮大な熱量をこれほどまでに作品へ宿しながらも、これからその本源の土地の空気に触れ、さらに表現を深めていこうとされる瑞々しい姿勢。その謙虚で真っ直ぐな眼差しに、作家としての深い誠実さを感じずにはいられませんでした。

伝統の精神を携えた彼が、これから実際に出雲の風や土と出会ったとき、その手からどんな新しい景(けしき)が生まれるのか。今から楽しみでなりません。

最高峰の表現、そして温かなお人柄との純粋な共鳴。この美しい出会いがあるからこそ、私たちのクリエイションもまた、ブレることのない軸を磨き続けることができるのだと確信しています。

ヤマダカズキさんの美しい手仕事、そして大地と神話に繋がる静謐な世界に、心からの敬意を込めて。

🎨 作家紹介:ヤマダカズキ(山田一輝)

1995年熊本県出身。東京藝術大学大学院美術研究科(壁画研究分野)修了。2023-2024年、ポーラ美術振興財団在外研修員としてAccademia di Belle Arti Ravenna(イタリア)にて研修。現在は東京藝術大学テクニカルインストラクター(壁画)を務める。

【近年の主な個展】

・2026「SUSANOOースサノオー」(Gallery MARUHI、東京)

・2025-2026 HIRAKU Project Vol.17「地に木す」(ポーラ美術館アトリウムギャラリー、神奈川)

・2025「石のカタリベ」(Gallery MARUHI、東京)

#ヤマダカズキ #山田一輝 #素戔嗚命 #出雲#shizennection